Comments by Dr Marks

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「コロッケの唄」と「ジャガイモの歌」に関連性はありやなしや

小谷野敦先生によれば「コロッケの唄」の作曲家は佐々 紅華(さっさ・こうか、本名:佐々一郎、1886-1961)ではないかとのこと。先生曰く「オペレッタ『カフェーの夜』なので佐々紅華の作曲では」。なお、最後のYouTubeは New York Film Festival 2010 出品。制作・主演とも Bianca Brunstein。なお、読み直さなかったので誤字があったのを直した。



「コロッケの唄」別題「コロッケー」の作詞者は益田太郎冠者(1875−1953)、本名は益田太郎、三井物産創始者益田孝男爵の次男。明治期に英国やベルギーで学んでいる。ただし、この歌の作曲者は不詳となっている。彼はどこからこの歌を持ってきたのであろうか。

コロッケ(クロケット、croquette)というのはジャガイモを入れなくてもいいことはいいが、基本的には潰したジャガイモに衣をかけて揚げたものである。さて、「コロッケの唄」ではコロッケが軽く見られているが、実際はどうであったろうか。確かに、大正期に入ると、カレーライスやカツレツと並んでコロッケが西洋を髣髴とさせるメニューにはなっているが、都会であっても庶民はめったに食べなかったと思う。

そのことは西欧でも同じで、幕末から明治後期のオランダの画家であるゴッホの絵(ジャガイモを食べる人々、Potato Eaters)を見れば、ジャガイモをそのまま食べている。塩くらいは振ったかもしれないが、バターを塗ることも稀であったように思う。コロッケにして食べることは、少なくとも庶民の日常の習慣ではない。益田家のような男爵家なら違うのではあろうが。

イーディッシュ(アシュケナージユダヤ人)の世界に、実は、「今日もジャガイモ」と名付けてもいい歌がある。コロッケではなく、じかにジャガイモというところが益田男爵とは違って情けないが、ユダヤ人以外にもよく知られた歌だ。

歌の大意:日曜日、月曜日はジャガイモ、火曜日、水曜日もジャガイモ、木曜日、金曜日も再びジャガイモで、シャバス(安息日=土曜日)は少し変わって素敵なジャガイモのプディング(潰したジャガイモをオーヴンで焼く)だというが、結局のところ変わりはしない。そして、再び、日曜日、月曜日・・・とジャガイモが続くのだ。

ジャガイモを大地のリンゴなどと洒落たフランス語は別として、ジャガイモに相当する言葉はヨーロッパ南方ではポテト系の言葉、北方ではドイツ語からロシア語までカルトッフェル系の言葉である。イーディッシュ語でもドイツ語系のカルトッフェル(複数形はドイツ語と同じカルトッフェルン)も使えるが、ヘブル語系のブルべ(複数形はブルべス)を使う。だから、普通、この曲名は単に「ブルべス」である。

十二弦ギターで男性が歌うのを聴いたら、更に懲りずに最後のヨウツベも聴いてほしい。これはある映画コンクールで入賞した作品だ。さて、二つの曲の間になんらかの関連性があるかどうかだが、今のところわからない。しかし、この歌を益田太郎冠者が留学先で聞いた可能性はきわめて高い。どこか? 余はベルギーとにらんでいる。