Comments by Dr Marks

出典を「Comments by Dr Marks」と表示する限り自由に引用できます

No. 4.

コメントにならないコメント−20(ヴァメーシュの『イエスの復活』「死ならびに死が古代ユダヤの宗教にもたらしたもの:復活への道を整える」)

あ〜ぁ、アクセス数が減ってるじゃないか。苦労して連日ヴァメーシュの新刊の逐条解説やってるのに。辛気臭いし、長いからな、読みたくねー。

復活主義者のあなた、そう言うなら、まずあなたが手本。そっ、まず手続きとしては、あなたが死んでみなければならない、順序として。なんて、無茶を言ってはいけないから、取り消す。本気で死ぬなよ。どうせいつか死ぬ。それまで待て。

族長時代のイスラエル人にとって、死んで先祖の墓に加えられることが人生の望ましい最後であることは前に書いた。そう、もともとは死んだら終わりなのだ。生きるということは、肉体に神が命の息吹をかけてくれることにより「生きた魂(ネフェーシュ・ハヤー)」となることであり、死ねば魂も「死んだ魂(ネフェーシュ・メット)」に変わる。それで終わりなのだ。

死者は近親者によって洗い清められ、服あるいは布で包まれて墓に納められた。ヤコブとヨセフはエジプト流のミイラだが例外だな。墓といっても豪華なものではない。イエスの時代までに、大層な墓所も造られたし、イエスの時代だけ特異的に、パレスチナに一般的なライムストーンを利用した骨壷が流行したことがある。これは、埋葬後1年してから、死体が腐敗して骨だけになったものを拾って再埋葬したものである。死体は腐敗することから、死は穢れたものとされ、それゆえに死者の取り扱いは近親者が行った。死体に触れた生者も同様に穢れるからである。しかし、この穢れは1週間で消える。時は癒し、時は清める。

死は誰にでも訪れる。王侯貴族であろうが賎民奴隷であろうが区別はない。いや、むしろ「人間に臨むことは動物にも臨み、これも死に、あれも死ぬ」(コヘレトの言葉3:19)。現実的かつ常識的なユダヤ人にとっては、この世がすべてであり、死ねば終わりなのだ。「犬でも、生きていれば、死んだライオンよりましだ」し、生きているからこそ死ぬことを知っているが「死者はもう何ひとつ知らない」。だから、生きているうちに「喜んであなたのパンを食べ、気持ちよくあなたの酒を飲むがよい」(いずれもコヘレトの言葉9章)。

ところが、墓に憩うことで終わりのはずの死に、イザヤやエゼキエルは黄泉の国(シェオール)を備えてウジの巣くう死者の地下世界を描く。諸国の王もそこで恥辱と汚物にまみれて暮らすことになる(イザヤ書14章)。エジプトのファラオでさえ死ねば民草と何ら変わらない(エゼキエル32章)。死は、偉大なるイコライザー(差別解消機)である。

黄泉に住む住人は、この世に来ることはできない。しかし、死んだことのない人物はイスラエルの世界に二人いるが、そのうちの一人はそのうちこの世に再び来られる。一人は洪水前の365歳まで地上にいたエノクじいさん(カインの息子のほうではなく、アダムの三男セトの子孫、創世記5章参照)で、二人目は有名なエリヤ先生で生きたまま天に行ったが、マラキ書によると Final Event に来るから、過越しの祭の「影膳」(エリヤの席)はそのときのためのものだ。

そんな二人は死んでもいないのだから例外として置いておく。要するに普通の死者とは一方通行であるから、往き来どころかコミュニケーションもできない。なぜなら、律法は口寄せイタコのような行為や職業を、神を畏れぬこととして禁止しているからだ。

ところがどっこい蛇の道は蛇。地下世界に通ずる道に詳しいと称する者がどうしても出てくるわけですな。イスラエル初代の王サウルは、お師匠さんのサムエル先生を口寄せばあさん(実は「ばあさん」なんて書いてないがイメージとしてばあさん)に頼んで死者の国から出てきてもらう。この口寄せばあさんだって、ご禁制の仕事だから、サウルに頼まれたとき、身構えたんだ。禁止のお触れを出している当のサウルが直々に依頼するんだからね。自分を陥れるわなじゃないかって(サムエル記上28章)。

で、出てきたんだよ〜、サムエルが。どうやら死んでも姿格好は生前と同じらしい。ここがミソ。サウルは、それがサムエル先生だとすぐにわかった。以下のイエスの復活と比較してごらん。弟子たちはわからなかったのだよ。目の前にいるのがイエスだなんて。

その前に、もう一度、ユダヤ人の人生観を振り返ろう。人生は死ぬまでが勝負だ。死んだらお終いだ。うまく生きてうまく死ぬに限る。しかし、人生は思うようにいかない。うまく生きているのもいるがそうでないものもいる。自分が邪まで、それゆえに報いを受けているというなら我慢もしよう。当然なのだから。

だけど、おいらは何も悪いことはしてない。あんな強欲な商人や、血も涙もない専制君主のようでは決してない。嗚呼、それなのに、それなのに〜♪ はたらけど はたらけど猶(なお)わが生活(くらし)楽にならざり ぢつと手を見る、になるのはなぜじゃー、となる。あいつらのほうがうまいもの食べていい思いして…、となる。

死んで終わりかよ〜〜、ナニイー、死んだらあいつらと同じになれるだとー。死んで同じになったって、何が嬉しいだ、神様のヴァガヤロー。わめけわめけ、神様を呪えー、と言われながらも、そうしなかったヨブじいさんとかもいた。そういえば、ヨブじいさん、感極まって「わたしは知っている、わたしを贖(あがな)う方は生きておられ、ついには塵の上に立たれるであろう、この皮膚が損なわれようとも、この身をもって、わたしは神を仰ぎ見るであろう」(ヨブ記19章)、と死んでからでも神様が認めてくれることを期待しているね。この辺りを次回はもう少し見てみたい。

さて、イエスは刑死してその日の日没前に葬られた。安息日が迫っていたこともあるが、木に架って刑死したものは日没前に葬るのが、ユダヤの決まりだったからである。しかし、エスのこの措置は、ローマ側に取れば、極めて上等な取り扱いであった。もともと十字架刑は、国家(ローマ)に対する反逆罪のようなもののために備えられていた。そして、そのような罪人は通常、埋葬を許可されず、木に架ったまま野良犬やその他の禽獣に食べられたり、腐敗して朽ちるままに曝されるか、川や海に投げ捨てられた。

この寛大な措置は、アリマタヤのヨセフという、多分ピラトにも影響力のある有力者のお陰であろう。この男の所有の墓にイエスは日没直前、あわただしく葬られた。岩をくり抜いた墓だった。女たちは一部始終を見ていて、弔いに必要な塗油を、安息日が明けたらしようと思った。金曜日の日没となり、安息日である土曜日が過ぎ、日曜日の朝が来た。

マルコ伝では、現存するもっとも古い複数の写本はいずれも空の墓の発見で終わるが、その他の福音書では復活のイエスに弟子たちが直接会っている。しかし、弟子たちは、イエスがそうと知らせるまで、エスのよみがえりとは知らなかったし、信じもしなかったお化けだぎゃー