Comments by Dr Marks

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痛恨の漱石全集−ある親不孝者の半生


これは昭和初期の版、新しいのは19巻ものだと思う

Finalvent さんが漱石や鴎外に言及していた。日本人の教養としての漱石や鴎外ではない。とくに「漱石の情感」についてだ。曰く言ひ難し。やはり、情感というものは、専門家はそれなりの説明をするのであろうが、私などにとっては言葉に余る何ものかだ。

漱石ファンだった。中学時代に例に漏れず『猫』とか『坊』から入ったが、どこかで目にした本物の漱石全集が欲しくなり、今は亡き父にねだった。すると、本当に本物が来た。クロスの具合も漢字も仮名も本物だ。活字が大きく、時代がかったところがいい。お陰で今に至る骨董趣味もその頃できたのかもしれない。

全集が来てみて、初めに読んだものが漱石のすべてでないことにすぐに気がついた。暗いというのではない。初めに読んだものが隠し立てのないものとすれば、秘密の世界が広がっていた。いや、秘密でもない。読み解く者にとっては、秘密でも何でもなく、誰しも完全にではないにしろ理解しうる世界であった。

小学校の高学年では、兄の書棚からくすねてきた西洋の恋愛物をやたらに読み漁っており、自分は恋愛については常に同年輩よりは大人でませていると思っていた。しかし、漱石を読んで、ははあ、これが大人の世界かと思ったものである。もっとも、今思えば、中学生や高校生の頃にどれだけ理解していたのかは心もとない。

後に、長らく文京区周辺に生活するようになってから、団子坂の森鴎外記念図書館に足も運んだが、面白かったのは、初めて漱石の世界に、少なくとも地理的な世界にいることの実感だった。キチジョウジだって、路面電車こそないものの、ああ、ここか、という具合だったし、今ではどうかわからないが、薄暗い狭い坂道なども多かった。もっとも、あの辺りは、漱石や鴎外ならずとも、明治の文豪のゆかりの地ではあるが、私は漱石の世界しか思い浮かばなかった。

そんな私の漱石の世界は遠い昔だが、今になって思えば、よくも父はしょうもないガキに本物の漱石全集など買い与えたものだと感謝の念で一杯だ。金銭的にかなり無理をしたのではないかと、今頃になって心配している。(ヤフージャパンのオークションで調べたら、現在5万5千円という値が付いている。)

しかし、その全集は現在持っていない。今までにダンボール箱30個ほどの本を売ったし、同じくらいの量の本を日本に放り投げてきた。しかも、あの全集は、金に困ったときに古書店では売れ行きのいい全集ということで高値で買い取ってもらった。いくらだか忘れたが、だいぶ助かったことを覚えている。まさに親不孝者だ。

昨年、ブログで猫猫先生を知って、長らく忘れていた漱石の世界が懐かしくなり、ん十年ぶりに漱石全集を手に取った。なに、簡単なんですよ。大きな大学図書館なら、アメリカのどこにでもあるのだから。そう、まともな大学ならテキスト校訂の問題もあるから本物の漱石全集がある。小型本だったり、ましてや新書版などではない。それに続く書棚には、漱石の研究書(ほとんど日本語)が並ぶことになる。そして、小谷野先生の『江戸から』も、きっとあるに違いない。