Comments by Dr Marks

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取り急ぎいくつか―SBL Boston 2008

いよいよ忙しくなってしまった。またハーヴァードに行くかもしれないので、とうとうボストン美術館は目と鼻の先なのだが(てか、ボストンは川向こうのケンブリッジを含めてもすべて目と鼻の先の小さな町)行けないだろう。昨日、カスというかスカの発表が続くので、いっちょ行ったるかと思ってコンシェルジェに聞けば、4時半で閉まる日だった。金は取るし(17ドル)そんなに早く閉まるとは何事か。LACMA(Los Angeles County Museum of Art)なんかは夜中までで、しかも6時以降、世界中の誰であれ入場は只だぞ。(聞けば、ボストンが持つ日本物の一部は今日本に貸し出し中だそうだから、まっいいか。)

とかなんとか言っていたのだが、ホテルをチェックアウトしてから、とうとうボストン美術館を訪れた。風がなくなり結構温かくなったと思ったら朝から大雨で、本来なら歩く距離だがタクシーを奮発した。チップ込みで往復で20ドル。近くで悪いと思ったが、ボストンはどこに行っても近くなので構わないとホテルで言われた。

入館料は私の白っぽい頭を見せてシニアーになりますかと聞いたら、ID出せって言われてすごすご一般の17ドルを払う。シニアと言っても2ドル安いだけだからどうでもいい。てか、俺って「詐欺」をするつもりだから恐ろしい。もちろん、冗談だよ。いつでもサービス精神旺盛な俺様は、チケット売り場のお嬢様を笑わせたかっただけ。(結局、笑ってはくれず、真面目な顔で「ID」って言うんだからね。)

限られた時間なので、もちろん全部は無理だし、あせると鑑賞心(?)が壊れそうなので、好きな絵などは近づかず、なるべく座ってゆっくりと観た。ここは絵のほかに、アメリカの金持ちが昔「無邪気に世界中から盗んできた」宝物がある中に、トドさんが喜ぶような物があったので、いずれ紹介する。というのは、(今、朝ホテルで書いたものにL.A.行きの機内で書き足しているわけだが)ボストン美術館様、悪口言ってごめんなさい。いいところもありました。館内撮影自由とは知りませんでした。万歳! (ただし、フラッシュはオフにしなければならない。) 

ところが、そうとは知らないものだから、ホテルで借りた(今だから言おう、シェラトン・ボストンに泊った)傘やコートと一緒にクロークにカメラまで預けてしまってから見学を始めた。シマッタ! と思ったが、どっこい。携帯電話に付いているカメラで幾つかぱちぱちと撮ることができた。その写真はいずれ公開(大袈裟だな)する。その中にトドさんに見せたい物があるのだ。

スカの発表の時間帯はカスばかりなのに、聞きたい発表というのは重なるもので、いつもどちらかを犠牲にせざるをえない。しかし、新約学の写本やテキスト理論の一部の発表は大人気だ。例の小さなサイズの部屋でバーミンガム大学の David Parker が書いた New Testament Manuscripts and Their Texts (Cambridge, 2008) 批評のセッションが始まったが、会場の席の3倍くらいの数が押し寄せたので大会場にぞろぞろと移動した。(テキスト論の関心は今メジャーなんだから、小さい部屋は駄目だって言ってるのになあ。)

元SBL会長でハーヴァードの Eldon Epp、エジンバラの Larry Hurtado、べテル大の Michael Holms(以上は、私もたびたび引用する人たち)、更にこれにアーマンとも言われるイーアマン(Bart Ehrman)が加わったから大変。(実際、パーカーの近著を使わないとどんなものを教科書にすればいいのか決めかねる田舎の、いや失礼、学校の先生方は、その点も興味のうち。)この4人のお偉いさんに若いパーカーは叩かれることになる。

しかし、面白いと思ったのはこのパーカー先生だ。何と言われても、初めは「苛められて死にそうだ」などと言っておいてカエルの顔にションベンだ。いかにもオックス・ブリッジ風の(この辺りオックス卒でも田舎風なグッドエイカーとは別)口調で、「えーと、ここの4人の先生方は皆50歳以上でいらっしゃいますから」とか平気でぬかして、のらりくらりと反論(言い逃れ)していた。

一つ言えば、私などはウェッブサイトで見られる写本サイトはとても助かると思うが、メッツガーの許で学んだイーアマンを含め古典的な教育を受けた先生方は気に入らない。それもそのはず、パーカーはコンピュータ・サイトのほうが拡大も自由で現物を見るよりずっといいと言うが、パピルスや羊皮の現物に目を通して筆順やインクの濃淡まで探るのは、コンピュータ画面では今のところ無理な気がする。

どうも初学者(学生)用には向かないという雰囲気の中で、パーカー君は最後に、皆さん、4人の先生方のご意見はともかく、ぜひ直接お手に取ってご覧ください、としぶとく宣伝するものだから買うことにした。しかし、展示場では時既に遅く、売り切れだったからアマゾンで買うことにする。

夜に、スェーデンのウプサラ大出のハーヴァードの先生で、今年4月に亡くなった新約学者Krister Stendahl先生の追悼集会のようなものに紛れ込んだが、さながら同窓会場のような雰囲気になっていて部外者は居心地が悪い。ステンダール先生は、ケスター一家がドイツから終戦間もなく赴任した際には、移民の手続きやら何やら細やかに世話をしたらしく、ケスター爺さんは話の終わりごろにはうるうるになっていた。今、80余歳になって50数年前のことを思い出したらそうであろう。彼の子供が3歳のときだからなぁ。

同じドイツからのシュスラー・フィオレンザやギリシアからの今は老人となったかつての学生が思い出を語っていた。ステンダール自身ヨーロッパからアメリカに根付いたことも関係があるだろうが、それだけではないだろう。そういえば、サンタバーバラのピアスン先生も一家ごと世話になったと言っていたが、彼はアメリカ生まれだがスウェーデン系の2世でスウェーデン語も話せると思う。

ステンダール先生というと超リベラルの先生だが、さすがに60年代の学生運動盛んな頃は赤旗をたてた学生を警察官導入で排除したり、学内に入れないように3日で塀を建てたり(秀吉みたい)して、ラディカル学生以上に「ラディカル」だったと紹介されたから会場は大笑い。そこが不思議なのだが、学生(!)を使いに出してロックフェラーからドミトリー建築の金をもらったらしいが、そのときに十分にもらったらしいから、塀も建てられたらしい。

さて、学生がロックフェラーに面会して言った言葉は(ステンダール先生がもちろん言わせたのだろうが)、「ダーティー・マネーは受け取れません」だった。すると、Mr.ロックフェラーは「よろしい。そうでない金があったら見せて欲しい。どのような証拠があるのかね」と言ったそうだ。結局、学生は反論できず、かつロックフェラーは、金をもらいに来たのに媚びることのないハーヴァードがますます気に入って建築に使って有り余る金をくれたらしい。(先生本人がもらいに行ったらそうはいかなかったかもしれない。)

写真は後ほど。取り急ぎ。