Comments by Dr Marks

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ショローム・アレイヘムの小説『永遠の命』(第九回)

以下の日本語の訳語を見て、ずいぶんと差別用語が多いなと感じられるかもしれない。不快に思う人がいるかもしれない。しかし、原作でも英訳でも何語の訳でも、実に多様な身体障害者などを表現する言葉が出てくる。多様なと言ったが、誤解を恐れずに言えば、「豊かな」と言ってもいい。英訳から現代の英和辞典を引いても、その豊かさは消えていた。あの豊かな日本語の表現は、どのようにして抹殺されたのだろうか。しかし、幸いなことにわが家には、昭和初期の出版や戦時中にハーヴァードが已むをえず海賊出版した辞典が転がっているので、参考にし敢えて使ってみた。自分のことなので少し言ってみる。私の右目は幼少時から弱視で、おまけに網膜剥離の手術をしているから斜視(しゃし=やぶにらみ)だ。しかし、私は眇(すがめ)と昔風に言われるほうが好きだ。斜視だと奢侈な目でいいではないかというかもしれないが、それでは面白くない。


町中の者が、死体を運んできた若者を一目見ようと集まってきた。彼らは口々に、遺骸は若者の義理の母親で、金持ちの奥様だと話している。(私としては、この「義母物語」がどこから出たのかは知らなかった。)ともかく彼らは、お金を右にほい、左にほいと投げながら、この金持ちの義母を運んできた若者を歓迎するために出てきた。実際、町の者は皆、私を指差している。乞食に限っても、浜の真砂(まさご)のような数だった。わが生涯の中で、ひとところに、こんなにも大勢の乞食がいるのは見たことがない。エレーヴ・ヨム・キップールの晩のシナゴーグの門前にすら、こんなにはいないだろう*1

めいめい私の上着の端を引っ張るから、すんでのところでズタズタに細切れにされるところだった。こんなふうに気前よく金をばらまく若者が来ることは、めったにないに違いない。幸いなことに役員さんたちが助けに来てくれたから、身包みはがされなかったようなものだ。とりわけ背い高のっぽで骨と皮ばかりの指をしたエリエゼル=モイシェは、しばらくの間、私から離れないでいてくれた。彼はその長い指で私を指差しながら言った。「お若いの、有り金みんなあいつらにくれてはならんよ。」

しかし、彼が忠告すればするほど、私の身を引きちぎるようにして、乞食たちがいっそう側に寄ってきた。そして、忠告を無視するように、「そのくらいは何でもない」と乞食たちが叫ぶ。
「そのくらい何でもないだろう。こんなに金持ちの義理の母親を墓に埋めさえしたら、あんたはすぐに数グローシェン*2使うことなんか何でもなくなるだろう。彼女は十分な金をあんたに残したに違いない。俺たちもあやかりたいよ。」

「お若いの!」と上着を引っ張りながら、一人の乞食が叫ぶ。
「お若いの、俺たち二人に半ルーブルくれよ! 少なくとも、四十コペイカはくれ。俺たちはこんなふうに生まれちまったんだ。俺はびっこで、こいつはめくらだ。二人に少なくとも一グルデン*3くれないか。一グルデンで障害者二人分だ。断然、俺たち二人は一グルデンもらう権利がある!」

「そいつの言うことを聞いてちゃだめだ!」と、今度は別の乞食が、今の乞食を押しのけながら大声を上げる。
「そいつがかたわ者だって言うのかい。おいらの女房が本物の「かたわ」だよ。両手がだめなうえにちんばなんだ。手も足も動かせないんだよ。おまけに俺たちの子供も病気だ! 何でもいいからくれ。そうすりゃ、一年の間、お前さんの義理の母親のためにカデーシュを唱えてやる・・・彼女が天国に休らえるようにな。」

ええ、そりゃー、あなた、今なら笑えますよ。しかし、乞食の集団が膨れ上がり溢れかえって私を襲うから、そのときは笑い事ではなかった。三十分ほどは市場が溢れかえってしまったので、棺は身動きならなかった。葬送に同行する者たちが、群集を棒を使って蹴散らそうとしたので、けんかも始まった。その頃までには、百姓たちも、女房と連れ添い、数え切れないような数の子供も連れて集まってきたので、とうとうこの騒ぎは町のお役人の耳にも入ることになった。

手に鞭を持ち、周囲に鋭い目を配り、馬に跨(またが)った巡査が現れて、数度シュッシュッシュッと鞭の音を鳴らすと群衆を四方に追い払ってしまった。馬から下りると棺に近づいて調べ始めた。私への尋問も開始し、私が誰か、どこから来たのか、どこへ行こうとしているのかを聞いた。私は恐怖で身動きできなくなった。どうしてそうなのかは知らない。しかし、警察の人間を見るといつでも恐ろしさに体が麻痺してしまうのだ。もちろん、怖れる理由など何もなくてもそうなってしまう。生涯を通じて壁のハエ*4と付き合うことなどまったくないも同然だったが、巡査といえども普通の人間で、私たちと同じに、血の通った生き物であることは、実によく承知している。

実際私には、警察の役人と親しくしていて、よく互いに往き来していたユダヤ人の友人がいた。祝日の機会に、その役人は友人の家に招待されて魚料理を食べたが、友人が役人の家を訪ねたときは、固くゆでた卵でもてなしたそうだ。これでは友人は、その役人をあまり高く評価できるわけはない。だが私は、そんな程度が役人だと思っていても、いまだに巡査を見たら逃げ出したくなる。

これは一種の遺伝的影響かもしれない。なぜなら、私は、あなた方もごぞんじだろうが、あのヴァシルチコフの時代に何度もポグロムが勃発した地方の出だ。私は、そのポグロムでひどい目にあった者の子孫なんだ。その気になれば、当時の話はいくらでもできる・・・しかし、今はもうボイベリクの町の話で時もだいぶ過ぎてしまったから、その話はよそう *5

今言ったように、巡査は私を念入りに調べ始めた。彼は、私が誰で、何をしていたのか、どこに行こうとしているのか知りたがった。はてさて、義理の父とズヴォヒルに住んでいて、パスポートを取りにラデミシリの町に行くのだということ云々の話いっさいがっさいを、どうやって彼に話せばいいものか、困ってしまった。しかし、さすがに歳の功で、役員さんたちがこの悩みから救ってくれた。私が話し出すよりも早く、役員の一人でまばらな髭の男が、巡査をかたわらに連れて行って何事か話してくれる。その間に、今度は骨と皮の指をした背い高のっぽの男が、私の耳にひそひそ声で素早く、巡査に何と答えるかをご教授くださったのだ。

(続く)

*1:ティシリの月の九日目、贖罪日の日没前に神前に誓いを立てる前には、自分が許すべき人はすべて許し、また貧しい者に施しをしなければならない。贖罪日(ヨム・キップール)はレビ記16章参照。

*2:ドイツ・オーストリアの金だが、ウクライナでもコぺイカを通称でグローシェンとも言った。いずれにしても小銭。

*3:オーストリアハンガリーの通貨。オランダのギルダーと同じ。ヨーロッパの乞食はどこの金でもかまわない。多分、当時半ルーブルと等価。

*4:自由に秘密裏に監視する者、すなわち警官のこと。

*5:ポグロムは長い期間に方々で起きたユダヤ人虐殺のことであり、翻訳している現在ではいつのどのポグロムを指すのか不明。いずれ調べておく。従って、私がこの小説の舞台をポグロムの前と思ったり後と思ったりするのは、ポグロムが多様なことによる。著者であるアレイヘムが経験したのは20世紀に入ってからの現ルーマニアでのポグロムであり、このウクライナの話とは時代がずれる気がする。また、ヴァシルチコフ家はロシアの貴族ではあるが、大ロシアの一領主に過ぎず、いつのどこの誰か現在のところ私はわからない。ヴァシルチコフ家で最も有名なのはヒトラー暗殺計画に加わり、戦後はアメリカ人と結婚し『ベルリン日記1940年−1945年』を書いたマリー・ヴァシルチコフであろう。