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プリモ・レーヴィの詩「聞け」を訳してみた


すべりひゆさんに笑われるのは承知で、プリモ・レーヴィ(Primo Levi, 1919-1987)の詩を訳してみた。イタリア語文法などいい加減なのだが、なんとかこういう意味だろうと思う。彼はイタリアで生まれイタリアで没した作家。なにか在日の北朝鮮の回し者のようなのが彼は自殺したと言っているが、そのような証拠は何もない。あれは事故死と考えるのが妥当だろう。

トリノで育ちトリノ大学の化学を優等で(平均95点)卒業したトリノっ子でイタリア語を母語とするユダヤ人だった。しかし抵抗運動で捕えられ、アウシュヴィッツに送られたが生還した。生還してすぐに記憶のあるうちにと体験の執筆を続けた。彼の著作の一つ(たぶん『溺れる者と救われる者』)にロベア婆さんの身内と思われる人が出てくるらしい。ロベアはRobaireで苗字だ。彼は収容所で死んだソルボンヌ大学のロベア教授に会ったらしい。今もロベア家はパリとロスアンジェルストロントモントリオールに住み、一家の共通語はフランス語だ。

いつもながら前置きが長くなったのに更に申し訳ないが詩の説明も先にしておく。題名の「シェマー(Shema)」はヘブル語で申命記6章4節にある言葉だ。意味は「聞きなさい」あるいは「聞け」という指示・命令である。

詩の中で、「はい」か「いいえ」で生死を分けられた男、としたのはいろいろな意味もあるが、収容所で「働けるか」と聞かれて「いいえ」なら即殺されたという背景がある。また、髪の毛も名前もない女、というのはカツラ用に髪を刈られ囚人番号で呼ばれ名前は呼ばれなかったという背景がある。更に最後の行、子も孫もあなたがたから顔をそむける、というのはわかりにくいだろう。実は聖書では、子孫ではなく神が顔をそむけることになる。つまり、神の恵みからはずれる、という意味だ。無粋なようだが念のため。

「シェマー」

暖かな家の中で
平穏な生活を営むあなたがた
夕べに帰ってくれば
熱い料理と親しい面々に迎えられるあなたがた

想像してごらん
これが泥土の中で働く男だと
平和を知らず
パンのかけらを奪い合い
「はい」か「いいえ」で生死を分けられた男だと

想像してごらん
これが髪の毛も名前もない女だと
考える力さえもはやなく
目はうつろ母胎は冷え切り
冬の蛙のような女だと

忘れないでほしい
これは本当にあったことなのだ
語られたことを思い起こしてほしい
家にあっても外にあっても
寝ていても起きていても心に刻みなさい

子供たちに繰り返して聞かせなさい
さもなくば、家は廃れ
病があなたがたの妨げとなって
子も孫もあなたがたから顔をそむける