Comments by Dr Marks

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No. 11.

『阿呆のギンペル(Gimpel the Fool)』 11(完) ただし改訳予定。

  僕は子供たちに言った。「元気でな。ギンペルのような者がこの世にいたことなど忘れてしまいなさい。」 ハーフコートを羽織り、靴を履き、片手に祈祷用のショールであるタリスを入れた袋を提げ、もう一方の手には杖を持ち、家の玄関にあるお守りメズーザにキスをした。通りに出たら、僕を見かけた人たちは大いに驚いた。

 「どこへお出かけで。」
 「世の中を見てくるよ。」
 そう言って僕はフランポールの町を離れた。

 諸国を旅したが、善良な人たちは僕を疎んじることはなかった。何年も過ぎた頃、僕は歳を取り頭も白くなった。その間にたくさんの話を聞き、たくさんの嘘や作り話も経験したが、あれから長く生きていればいるほど、本当の嘘などそうはないことに気がついた。起こりえないことでも夜の夢ではありえるし、一人の人に起こらないとしても別の人には起こることもある。今日でなければ明日、来年でなければ百年後ならありうるのだ。だから、起こることと起こらないことに違いなどない。しばしば、「そんな話があるもんか」と言われたが、一年も経たないうちに、どこかで本当に起こったという話を聞いた。

 あちらこちらと旅をして、見知らぬ者と食卓を共にしたとき、僕は、化け物とか、魔術使いとか、〔ドン・キホーテの〕風車のような、信じがたくありえないような話をする機会がよくあった。子供たちが、「おじいちゃん、お話して」と僕の後を追って来ることもあった。ときには具体的に聞きたいテーマを挙げてきたので、できるだけ喜ばそうと作り話をしたものだ。

 あるとき小太りの少年が、「おじいちゃん、みんな同じ話じゃないか」と言った。そんなはずはないのだが、この小僧、お前が正しいかもしれん。

 夢だって同じだ。フランポールの町を離れて何年にもなるが、目を閉じるとすぐにあの町にいる。すると誰に会うと思う。エルカだよ。僕らが初めて会ったときのように洗濯桶の側に立っている。だけど、顔は輝き、目は聖女のように光を放っていて、しかも彼女が僕に向かって投げかける言葉は奇妙なのだ。

 起きると見た夢は忘れてしまう。しかし、夢を見ている間は、僕は幸せだ。僕の質問にみんな答えてくれて、なにもかも申し分ない。僕は泣いて嘆願する。「僕を君のところに連れて行ってくれ。」 すると彼女は僕をなだめ、「ギンペル、我慢しなさい、もう少しで会えるから」と言う。ときには僕にキスし、抱きしめてくれて、僕の頬に涙を落とす。目が覚めたとき、彼女の唇の感触と涙の塩辛さが残っていた。

 間違いなくこの世は全て夢のようなものであり、嘘で満ちてはいるが、本当の世界とも紙一重で繋がっているのだ。僕が横になっている安宿の玄関に、死人を洗って運ぶ板がある。墓堀のユダヤ人がクワを用意している。墓は待っている。蛆虫は腹を空かしている。死体を包む木綿布も僕の持ってきた頭陀袋に入っている。もう新しい乞食が僕のわらのベッドを受け継ぐつもりだ。

 時が来て、神がお望みなら、僕は喜んであの世に旅立とう。あの世はどんなところであろうと、全てが真実で、込み入った話はなく、あざけりも嘘もない。神は誉むべきかな。あの世では、ギンペルでさえだまされまい。


 (完) ただし、初めからイーディッシュ原語で改訳予定。